めも。

長文ツイートの墓場みたいな感じ。

Lost memory theatre

 

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1階18列下手
あくまでわたしの感じ方、わたしの感想です。

 



どこからが現実でどこからが夢なのか
そもそもこれは夢なのか現実なのか


なんの予備知識もなしに観に行った。

ステージの高さが最前列とほぼ同じ、昔のヨーロッパの劇場のようなつくり。
舞台の奥行きが深く、逆に客席列が少ないことと、演者がステージと客席の境なく動くため、どこまでが現実でどこからが虚構なのかがわからなくなりそうな感じをうける。
最初に主人公には意味のわからない言葉を発する劇場の管理人のような人が出てくるのだが、女性との本格的な接触によって(?)わかるようになり、そこから主人公と一緒にわたしたち観客もその世界への介入を許される。逆に言うとそれまでの開始数分は傍観すら許されないような排除の様相を呈していた。
現実と虚構の境目、という点で鳥肌がたつほど衝撃を感じたのが鏡の作用。女性の動揺を表すための演出で、客席と演者が1枚の鏡(=同じ空間)の中に存在しているのを見たときにぞわっとした。少し、こわくなった。

休憩前後も客席との境界は曖昧で、主人公が客席に座っていたり、劇場の管理人が客と一緒にロビーに出たり、なんとも倒錯的な感じ。開演前ブザーはあのレトロな無骨なブザーをしっかり鳴らしていたのでなんとなく気にはなったのだけど、あれは演出なのか会場側の都合なのか。

後半の方が雄弁だった。文字通り言葉として。
ただ前半よりもさらに、“なんだかおかしい”という雰囲気が徐々に漏れ出していて(元々おかしかったんだけどさらに)なんというかリンチみたいだなあって思ったり。
あとこれはVAMPでも思ったことなんだけど、トルソーと踊るのってすごくフェティッシュで背徳的。今回女性ダンサーさんとレディストルソーだったから余計に。
解釈は人それぞれあるだろうけど、細かいループ、全体のループ感なんかから、結局あの世界はすべて主人公のつくりだした虚構でしかなかったんじゃないだろうか。
最後劇場の管理人はまたわけのわからない言葉で主人公を追い出し、最後はひとつひとつ回想するようにダンサーが踊り演者が舞い、それを主人公が舞台の外から呆然と見つめていた。
なぜかわからないんだけど途中に出てきた”ろうそくの炎が燃やした夢のつぼみ”っていうフレーズの情景がふわっと自然に目の前に浮かんで、なんの躊躇いもなく「あ、ほんとだ」って納得してしまっていたんだけど、今改めて考えてみるとまったくわけわかんないしあれはなんだったのだろう。まさしく白昼夢みたい。


全体を通して不安定さとか不安感、現実と夢の曖昧な境界線、そういうのをいろんな方法で表現していた。ひとつはクラシックスタイルのバレエ。トウシューズで踊る彼女たちの不自然な動き、不安定な足元、そういったひとつひとつのアンバランスさ、現実離れした感じはわかりやすくこちらに不安感を与えていた。もうひとつは音の演出。サラウンド感って言うのかな?あちらこちらから音が聞こえてきて、囲まれているような、なにか大きなものの胎内にいるような、そんな逃げ場のない感じ。それと音楽も、わかりやすく不協和音って、ほんとうに足元がぐらぐらするんだよね。知らないうちに均衡を保とうと身体が強張っていた。最後が映像の投影の仕方。これ、ブラのライブの時とか、あと金閣寺で感じたのと同じなんだけど、スクリーンや背景に限定せず(人間まで巻き込んで)全体にぼやっとした映像を投影すると、そこだけ“向こう側”感が出るんだよね。あくまで三次元なのに二次元的というか、どこか違う世界を見ているような。今回、主人公はそれに影響されないところにいて、それ以外の舞台上が“向こう側”にいて、それもまた不安定さを出していた。


というわけでとってもわたし好みの静かに気の狂った世界でした。