「太陽」
映画「太陽」を観ました。
舞台は都合がつかず…観たかった。
29日までやってるので観に行った方は感想教えてください。
ネタバレたぶんします。
ほんとうは感想書くのをちょっと躊躇っていました。
おそらくわたしは、この作品を意図の通りに受け取ることができなかったから。
見終わってまずでたのが、思っていたよりも日常的で穏やかな作品だったなあという感想でした。ノクスは、少なくとも作品中では理由なくキュリオを襲ったりしない。経済制裁だって(ノクスが制裁を科すことでキュリオが苦しい生活を余儀なくされるのはれっきとした差別構造ではあるけども)きちんと理由があってのことだったし。
作中の村が半廃墟なのも、“叔父さん”のせいでしょ?キュリオが後進的なことの根本にノクスによる精神的な差別があることはもちろんだけれどそれは残虐なものでもなければ理不尽でもない(それが正しいかどうかは別として) #太陽
— 黒兎。くろう。@よみうりホール (@pyon_br96) 2016年5月6日
それに子供はノクスになる手段がきちんとある。ノクスだって少しの差別感情はあるにしろ、養子としてキュリオを迎え入れる環境もできていれば、そうやってノクスになった元キュリオが社会の中で不利になることもない。もちろん作中のゆいちゃんのお父さんやたくみくんみたいなかわいそうな人はでてきてしまうけど、それもこの先一生会えませんってわけじゃないみたいだし。
なんだ、思ったより平和な世界じゃない、となったわけだ。
観る前段階の情報でいつかくる未来の話、という印象を受けていたんだけど、観てからはなんだ今の現状となんら変わりがないじゃないか、と思ったし、なんならノクスに余計な感情論が働かない分現状よりマシな世界じゃないか、と思っちゃったんだよなあ。(この件に関して、世界情勢的なとこも絡めて考えた事柄もあったのだけど、その辺りの話題には明るくないのでTwitter鍵垢にぶん投げて終わりました)
“人間的であること”と“豊かで安泰な生活を送ること”って全然イコールじゃないから、どちらに重きを置くかで感想も変わってくるんじゃないかなあ。少なくともわたしはキュリオのままなにかを変えようとするよりもノクスになりたい #太陽
— 黒兎。くろう。@よみうりホール (@pyon_br96) 2016年5月6日
確かにノクスになった後のゆいちゃんは不気味に感じた。けど、キュリオであったゆいちゃんから、ノクスになったゆいちゃんの変化を短時間でみせられたから「ああ、変わったな」とは思えど、別にゆいちゃん以外のノクスに不気味さは感じなかった。
たぶん"人間的であること≒感情豊かであること”に重きを置くのなら確かにあれは悲惨な世界なのかなあと考えることはできれど、わたしはそちら側に立つことはできなかったなあ。だってどう考えてもキュリオよりノクスの方が幸せだもの。感情の起伏に悩まされることのない頭脳って幸福そのものでしかない。キュリオは一生キュリオのままでしかないのなら確かに悲劇だけど。
っていう作品世界に関して斜めに構えることしかできなかった人間でした。
ひとつ思ったのは、ノクスがすべてを言葉で表現する、できると言うのは、彼らには言葉で表現できる感情しか存在しないからなのかなあと思った。なんて言ったらいいかわからない気持ちっていうのは、合理的でない存在特有のものだよなあ。
エンドロールに音楽をいれないのは斬新だな!いいな!もしかしたらわたしが知らないだけでそういう作品はあるのかもしれないけど、わたしは初めて見ました。考え事がかき消されなくてとてもよいなと思ったよ。
「愛の渦」以来の麦ちゃんでしたがさすがの演技でしたなあ。
ノクスになった瞬間に急にはきはき美人になったの、もちろんお化粧とかもあるだろうけど、表情って大事だなあと妙に冷静に見てしまったw